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タニハ、豊岡盆地は「海の要塞」だった

シリーズ「ヤマト建国は地形で解ける」⑧

アメノヒボコと海の要塞、豊岡

 アメノヒボコは第十一代垂仁天皇の時代に来日した新羅(しらぎ)の王子だ。ヤマトの実在の初代王が第十代 崇神(すじん)天皇と考えられているから、アメノヒボコも、ヤマト黎明期の人とみなしてよい。

 筆者はアメノヒボコを、朝鮮半島の歴史書『三国史記』に登場する脱解王(だっかいおう)の末裔と推理している(拙著『蘇我氏の正体』新潮文庫)。
「倭国の東北千里の多婆那(たばな)国」から朝鮮半島に渡って新羅王になったのが脱解王で、「多婆那国」は「丹波」や「但馬」と思われる。倭人が鉄を求めて朝鮮半島南部に渡っていたことは中国の文書にいくつも記録されている。その中の成功者が、脱解王であり、その末裔がアメノヒボコであろう。

 アメノヒボコが日本列島に「戻って」きて豊岡(但馬)に棲みついたのは、一帯が先祖伝来の土地だったからにちがいない。
 無視できない伝説が豊岡( 出石(いずし))に残されている。豊岡盆地はかつて泥海で、アメノヒボコが円山川の河口部の「瀬戸と津居(つい)山」の間の岩をくり抜き、水路を造って水を外に流し、豊岡を肥沃な土地に変えたというのだ。実際、瀬戸の切戸は、人工物としか思えない。
 豊岡の郷土史家宮下豊は、アメノヒボコは農業発展以上に、港を整備するために干拓事業を推し進めたと指摘している(『但馬国から邪馬台国へ』新人物往来社)。説得力のある指摘だ。ただし、豊岡は日本海を代表する「海の城」であった。穀倉地帯だから、というわけではない。

豊岡円山川上流・市街方面

 海側から覗き込めば、恐ろしくてうかうかと円山川を遡上(そじょう)できない怖ろしさがある。実際に現地に立ってみれば、よく分かる。
「地形から見る歴史」に興味のある方に、豊岡はお薦めの場所だ。冬場のカニもおいしいし。

 シリーズ「ヤマト建国は地形で解ける」⑨に続く。

『地形で読み解く古代史』より構成】

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関 裕二

せき ゆうじ

 



1959年生まれ。歴史作家。仏教美術に魅了され、奈良に通いつめたことをきっかけに、日本古代史を研究。以後古代をテーマに意欲的な執筆活動を続けている。著書に『古代史謎解き紀行』シリーズ(新潮文庫)、『なぜ日本と朝鮮半島は仲が悪いのか』(PHP研究所)、『東大寺の暗号』(講談社+α文庫)、『新史論/書き替えられた古代史』 シリーズ(小学館新書)、 『天皇諡号が語る 古代史の真相』(祥伝社新書)、『台与の正体: 邪馬台国・卑弥呼の後継女王』『アメノヒボコ、謎の真相』(いずれも、河出書房新社)、異端の古代史シリーズ『古代神道と神社 天皇家の謎』『卑弥呼 封印された女王の鏡』『聖徳太子は誰に殺された』『捏造された神話 藤原氏の陰謀』『もうひとつの日本史 闇の修験道』『持統天皇 血塗られた皇祖神』『蘇我氏の正義 真説・大化の改新』(いずれも小社刊)など多数。新刊『神社が語る関東古代氏族』(祥伝社新書)



 


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